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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

村上春樹の新刊です。
今まで出た村上春樹の小説の中で、個人的にかなり好きな作品だった。
1Q84みたいに交響曲のようなドラマチックさや壮大さはないが、静かで美しいピアノ小品のような小説であると思う。とても心に響いた。

以下、小説の筋に触れる。

* * *

この話は主人公の30代の男性、多崎つくるの心の旅路をたどる物語だ。
鉄道駅を作ることを仕事にしている彼には、現在付き合っている年上の女性がおり、その女性に次第に強く心ひかれるようになるのだが、そこからなかなか先に進めない。
なぜだろう?
その答えを探すために、彼は「巡礼」の旅に出ることになる。

思うに、人は誰でも「巡礼の年」がめぐってくるのだ。
それは「人生の節目」と似ているが、少し違う。
「節目」の場合、何が「節目」となるのかは、起こる前はわからない。「これから起こることが私の人生の重要なターニングポイントなのね!」と、予感や期待はするかもしれないが、結局あとになってみないとわからない。いくらか時間が流れて、のちに自分の人生を振り返ったときに「ああ、あのときが節目だったんだなあ」と理解するようなものだと思う。
それに対して、「巡礼」は、何かが起こるのをじっと待つわけにはいかない。こちらから、「何かを起こそう」と、はっきり意志を持って出掛けていかなくてはいけないのだ。
「今でしょ」というやつである。

それでは、巡礼の旅は、一体どこへ向かうべきなのだろう?

多崎つくるくんの場合は、それは10数年前、大学生のときにさかのぼる。
彼はそのとき、高校時代の大事な友人たちをいっせいに失った。
つくるくんの人生は、ある部分がそこで停泊してしまっている。そこに彼の一部を置いてけぼりにしてしまっているのだ。
そうして、彼はその残してきた自分を取り戻すために、高校時代の友人を10数年ぶりに、ひとりひとり訪ねてまわることになる。
そして彼らと再会し、話をするうちに、少しずつ糸をほどくように、ふと気がついたときに、彼はそれまでより少し色鮮やかな世界を手に入れている。
そして、そのときはっきりと「付き合っている女性ともっと関係を深めたい、自分のものになってほしい」と思うようになり、彼女にそのことを伝える。
この小説は、その返事をもらう直前で終わっている。
なぜそんな半端なところで終わるのか?

それは、この小説の重要なポイントは「愛する人を手に入れること」ではないからだと私は思う。大切なのは「愛する人を手に入れようとする意志を持つこと」なのだと。

人間同士か深く関係を結ぼうとするとき、自分自身の問題が明らかになる。それを直視することは、痛みを伴うことだが、乗り越えなくてはいけない。
村上春樹は、それを伝えたかったのだと思う。かなり確信をもって、私はこの小説のことがよくわかる。なぜなら、私にとっても今は「巡礼の年」であるからだ。

私は今まで読んだ村上春樹作品の登場人物の中で、つくるくんに一番共感を持った。彼が過去をクールに捨てられない点、どこか過去に自分を置き去りにして生きているところが、とても理解できるからだ。
つくるくんは彼の友人たちと違って、名前に色を持たない。彼はそのことを残念に思い、コンプレックスすら抱いているのだが、しかし、そのかわり彼はにもっと大切なものを持っている。
「作」。
彼の名前は、人生を自分で作るという意味を持つ。生まれ持った色彩はないかわりに、自分の意志で自分の色を決めることができる。
それはとても素晴らしいことで、とても美しいことだと思う。

最後、彼が人生を意志を持って歩き出したことが、私も自分のことのように嬉しかった。自分も頑張ろうと、そういうふうに思った。私もまた意志を持って、自分の人生を作ってゆきたい。そのようにして、巡礼は続いていくのだと思っている。




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