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「雪の練習生」

多和田 葉子
新潮社
¥ 1,785
(2011-01)


クヌートが死んだ。

震災とリビアのニュースで暗沌とした新聞の片隅に、
小さな記事が載っていた。
生まれてすぐに母親に育児放棄された後、人間の飼育員に育てられ、
世界中のスターになったシロクマ。
クヌートが死んだ。4歳だった。

多和田葉子の「雪の練習生」は、クヌートの母熊でサーカスの花形だったトスカ、
それから、小説家だった祖母にさかのぼる三代のシロクマの物語だ。
語り手はシロクマたち自身という一風変わった小説だったが、文章が美しく、
そこかしこにちりばめられたユーモアがおかしく、すらすらと読めた。
わたしがこの小説を読み終えた直後に、日本では大きな震災が起こり、
それから、日本から遠く離れたドイツの動物園でクヌートが死んだ。

クヌートは数奇な運命を生きたシロクマだった。
生まれてすぐに、母親のトスカはクヌートたちを棄てた。
母親からお乳をもらえず、いっしょに生まれた彼のきょうだいは死んだ。
母熊のかわりにクヌートを育てたのは、飼育員の男性だった。
彼は自分の家族をかえりみず、クヌートのそばで寝泊りをし、
本当のこどものように大事に育てた。

そしてクヌートはスターになった。
動物園には、クヌートをひとめ見たいと長蛇の列ができ、グッズは売れに売れ、
さらには彼をとりあげた映画も作られた。
環境問題に絡んだ政治的な思惑や、クヌート特需で動いた莫大な金をめぐる争い。
クヌートは何も知らずに、その愛くるしい姿を人々にさらし続けた。

クヌートが2歳のときに、育ての親の飼育員が死んだ。
突然の死だった。
いちばん仲が良かったのに、お葬式にも呼ばれなかった。
そして多和田葉子は、飼育員への敬意と、感謝の言葉をクヌートに語らせる。
ほんとうに彼に言葉がしゃべれたなら、きっとこう伝えたかっただろうという
力強い文章であった。読みながら涙が出た。


春を待たずにクヌートは死んでしまった。
人々が待ち焦がれる、花が咲き緑あふれるこの季節は、
北極圏を故郷に持つ彼は、ただ悲しいものだったのだろう。
向こうで、育ての親の飼育員さんとは会えただろうか。
きっと子熊の姿に戻って、いっしょに遊んでいるにちがいない。
そう願っている。






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